これでいいのよ


今日、二回目の投稿になります。

読者登録、ありがとうございました! - にににのにっき



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ちょっと雲がかかっていて惜しい(笑


富士山って、夏よりも秋や冬のほうが、頂上までくっきり見えるんですよ。
夏は湿気、なので雲に覆われやすいんです。

しかしこんなに壮大で美しい景色を眺めていると心が洗われますです^^。


今は人も経済も政治も荒れている時代。
なので、誰もが不安を抱えやすくなっています。
そうなると、警戒心から、人や物事を頭から疑ったり悪く取ってかかるように。
もしくは、余裕を失い、些細なことでイライラして、不満もたまり、しなくていいことやいわなくていいことを言ってしまう(そして自己嫌悪に陥る)。
これでは、愛(信頼、キズナ、思いやりややさしさ)など、どこにも居場所がなくなりますね(溜息。


ただ、そうした負の連鎖は、あるところはあるけれど、ないところはない。
そう感じてます。

ある人たちの集まりは、人へのやさしさや思いやりにあふれてて、温かい。
耳からでも目からでも、不快になるようなことは、めったに入ってきません。

またある人たちの集まりは、表向きには正義やモラルをまとっているけれど、実はそうでもない(ということも自覚されていない)。
どれほど口調や文調が優しく賢く美しげに見えても、「何を、どう見ているか?」、内容を見聞きしてみると、それらはカムフラージュであることがわかります。


所得や生活格差が叫ばれていますが、実は精神面(精神の世界)ででも、それが起きつつある気がします。


spiritual という言葉は本来、人格とか人間性/精神性の高貴さみたいなものを指す言葉なのに、日本ではいつのまにか、オカルト(カルト)のような使われ方が定着してしまいました。
私はそれが悲しいです。


過去は消せない。
自分が口にしたことも、行いも。
「この人生で自分がした経験、行いは、すべて、DNAが記憶している」と、先日ある大学の先生がおっしゃってました。
それは、深層意識、魂、と置き換えてみてもいい気がします。


だからこそ、そういう過去(記憶)を残さないよう、できるかぎり自分にとっての最善の「今」を積み重ねていくことが、大切になるんですよね。
(けれども、犯したミスはその後の生涯の中で清算することができます。それができた時点で罪悪感とか後悔は消えます)



人は人、自分は自分。
「みんながしているならしていい」、という考えは私はもたないようにしています。


さみしさ(孤独への恐れ)や不安、もっと欲しい!の欲/損得に負けてたむろするようなことはしないというのを、昔からの myルールにしています。


むしろ真理(永遠に覆されない正しいこと)とされるものほど、少数派の中に隠れているものとも思いますし。
特に、荒れている時代ほど。


少数派であることに、迷ったり、自信を失わないこと。
それにそのような価値観や生き方に共感しあえる仲間は必ずいます。
しかも多くの場合、多数派の中の結束よりも、少数派の中での結束のほうがかたいものですし。


あのように立派な行いをしてきたキリストでさえ、磔にされてしまいました。
多数の人の力は、時に、これほどまでに非情で残酷で理不尽なことをしてのけるもの。
(あ、生まれてこのかた、無宗教者です)


なんてとりとめのないことを、雄大な富士山を眺めつつ、自分自身に語りかけています。